安土・桃山時代の衣装
 Maccafushigi

分裂国家郡を中央集権国家にまとめ上げた信長 ・秀吉、安土 ・桃山時代の豪華絢爛な時代の衣装です。
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織田信長 「木瓜」
織田信長
秀吉 「五三の桐」
豊臣秀吉
瓢箪から駒 ・独楽
瓢箪から
豊臣秀吉さんの
「金 ・銀」
ちりばめた
豪華絢爛さを
この頁で
表現してみました。

上記の「金 ・銀」 は
グランドと文字色を
補色にしています。

R.G.B.で
金色 ・銀色を
未だ残念ですが、
表現できません。
そんな日が、
訪れるのは、
何時の日かしらん?
政宗 「竹に雀」
伊達政宗
シンメトリーが
殆どの家紋の中で
伊達政宗は
アシンメトリー
で迫っています。

センターが雀柄で、
雌雄一対表現。
回りの竹と笹柄も
左右で微妙な差。

政宗は家紋にも
お洒落してます。
さすが、伊達紋
おそれ、入ります。
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緑と赤

緑と赤   緑と赤
メンズの変容したアイテム 素襖 ・肩衣 ・上下(裃)など

  肩衣 ・上下(裃)素襖
上下 (裃)肩衣 out肩衣 in素襖 (素材は麻)

  「素襖 (すおう)」
   乱世の世が長く続いていた間に知恵を使われました。直垂の素材を絹から麻 (上布) に変更しました。
   上布は絹に比して高価ではありません。勢い何着も奥様らに縫って頂けます。
   触感は当然、絹に比べて劣りますが、戦いに明け暮れる日々我が侭を云ってられません。
   足軽として駆り出される農閑期の方々と戦闘リーダーとの服素材は同じになりました。

  「肩衣」
   その素襖のお袖をカットしたアイテムが肩衣です。 絵のやや黒い部分が肩衣。
   着方は上の絵の如く、袴(ワイドバギーパンツ)の中に入れたり外に出したりのお好み次第?
   さしずめ、ロングベストって感じです。
   取っ組み合いで袖がちぎれた素襖を他地域(他国)に出張中で接いでくれる女性がいなかった為、
   「しょうがない」 って感じでお召しになっている内に、やがてファッションにと云うのは、あながち・・・・・。

  「上下(裃) (かみしも)」
   決して、「じょうげ ・うえした」 なんて呼ばないで下さい。織田信長公に 「励め」 とお叱りを受けます。

   宗五大艸紙 (そうごおおぞうし) 伊勢貞頼 1528年編
   「素襖 ・袴 ・肩衣 ・小袴などの紋は、目に立たぬが然るべく候。すおう袴 ・上下かはるは略儀なり。
    中略  すき (透) 素襖とは越後布を染めたる也。是は六七両月着候。八月朔日より厚き素襖にて候。」

   と云う事で、本式の上下 は top も bottom も安土 ・桃山時代には同色になり、今のスーツ感覚です。
信長 ・秀吉 ・政宗達のファッション

   安土 ・桃山時代を精一杯、お洒落に、素敵に生き抜いた、
   彼らのfashionは、史実を元として?、色んな映画 ・T.V.で紹介されていますので、
   皆さん、おおよそ想像できると思います。 たぶんその様な感じなのでしょう。
   信長さんの、南蛮貿易で手に入れた、超アドバンスドファッション。
   政宗さんの、命を賭した婆娑羅ファッション。
   秀吉さんの、金糸 ・銀糸を鏤めた衣装の数々。
   彼らの 「これでもか」 と云う程の夥しい 「自己顕示」。
   秀吉さんはお召し物のみに限りません。
   金の茶室。 その筋の方お薦めの容器 (お茶碗、壺)。 聚楽邸でのイベント。 醍醐寺でのお花見。
   等々、枚挙にいとまがありません。
武家 ・庶民の女性のファッションは

   この安土 ・桃山時代の衣装は、室町時代の後期より、殆ど変容はしていません。
   殿方が戦で 「家」 をお留守になさっているので、お洒落どころでは無かったのでしょうか?
   「お命の持ち帰りこそ巧名の種でございます。」 的におうちでじーっとしておられたのでしょうか?
   やがて、世の中が平穏になる頃より、耐えに耐え抜いた?お洒落心が一挙に吹き出します。
   それが 「桃山小袖」 です。 京都丸紅株式会社様で 「淀君の小袖」 を復元されています。
   安土 ・桃山時代のお陰で、女性は久方ぶりに素敵に変身できました。
公卿 ・貴族のメンズ ・レディース

   室町時代の後期からの荒んだ状況は、後水尾天皇 (在位 1611〜1629) (1596〜1680) の頃より、
   漸く、フォーマルの衣冠束帯、カジュアルの直衣 ・小直衣 ・狩衣などを着用する事が可能になったとの事。

   一方、女性の方々は、1620年東福門院 (1607〜1678) が後水尾帝に入内の際のお召しものでさえ、
   「袿と緋色の袴のみ」 の様子だったそうです。徳川秀忠のお嬢さんでさえか、アンチ差異表示か?
   古来よりのファッション (唐衣、裳までのフル装備) に戻ったのは、
   明正天皇 (在位 1629〜1643) (1623〜1696) 頃位の時代 (とき) からとの事。
織田信長の革新的感性

  ◆ 彼の衣装 ・服のセンス。

   南蛮、主にポルトガルの宣教師 (他世界侵略策士) 達から、彼にとっては新鮮な 文 ・物 を
   躊躇無く、ご自分自身で身に纏い ・消化しました。

   ☆ ビロードのマント

   ビロードはポルトガルのveludoで、パイルカットをし、毛羽立たせた織物です。
   素材は絹 (シルク) だったのか毛 (ウール) であったのかは不明ですが、
   たぶんウール (羅紗 (らしゃ)) であったと考えています。
   羅紗もポルトガルのraxaで、羊毛の糸で厚く織り上げた織物です。羅紗鋏はもう死語かしらん?
   マントのデザインはAライン。マントはフランス語でmanteau。日本ではお袖無しAラインのコートにしています。

   ☆ フレーズシャツ

   フレーズはフランス語のfraiseで襞 (ひだ) 襟の事。
   大きな襟にタック(tuck)、プリーツ(pleat)、ギャザー(gather)を施された、極めて装飾性の高いデザインです。
   日本史の教科書で登場するザビエルの肖像画の襟の感じを思い出して下さい。あの感じのシャツです。
   このアイテムは、信長さん、あまりお気に召さなかったみたいです。

  ◆ 安土城 。

   寺院建築 (唐、天竺様、建築) から、日本オリジナル建築様式を構築しました。
   七重の城の天守閣から世俗化された寺社仏閣を見下ろしました。

   ☆ 安土城等の城 ・寺院の内装 (壁 ・屏風 ・襖)

   その様な革新的な建築様式に感化され、壁 ・屏風 ・襖 の絵が革新を。
   やまと絵 (狩野永徳らの狩野派) と水墨画 ( 長谷川等伯 らの雪舟派) の発展的融合。

   長谷川等伯らが描いたと云われる彩色絵 「智積院」の 「楓図」「桜図」 には狩野派ビックリでしょう?

「色」 と 「形 (構成)」 との融和 ・螺旋状的進化。

   やがて、それらの感性が辿りついたものは、「桂離宮と日光東照宮」 で。

   ★ 2007/1/29 某T.V.で「バチカンに眠る織田信長の夢」
     「暗殺の黒幕はあの男・・・残された暗号を解読せよ」 「信長コード」 がオンエアされます。
      タイトルの凄まじさ、及び、Windows Vistaとのジョイント企画。 演出は、中谷直哉氏。
      ZIPANGU は織田信長暗殺の企画立案者は、「近衛前久」 と考えています。
      どの様に展開されるのか、わたくしどもも楽しみにしています。
      例え、織田信長像を覆されても、私どもは信長の素敵な 「革新的感性」 が揺るぎないものと考えます。
      「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢、まぼろしの如くなり」 を実践されたお洒落な織田信長。
      安土桃山時代と称される、幻の 「安土」 城。消滅したが故の増す幻想。しかしながら信長はそこで生活を。
      尚、オンエア後に再度コメントしたいと思います。 2007/1/28 ZIPANGU

   ★ 番組拝見しました。Windows 「よいしょ」 内容には、恐れ入りました。
      更に、何時も元気おじ様の寛斎先生もお出ましになっておられたとは、ビックリ。
      山本寛斎さんの 「お着物」 を粋に羽織っておられるお姿、甚だ、感服つかまつりました。
      わたくしどもは、前もって、信長暗殺首謀者は近衛前久と申し上げておりましたが、
      この番組も一応、近衛前久と結論づけていました。
      何を隠そう、織田信長は、「悠久と流れ続けている権威」 に抹殺されたのです。
      このパターンは、1408年 足利義満 「突然のあの世への旅立ち」 と全く瓜二つです。

      素敵でお洒落な織田信長の名誉の為に、
      信長はイエズス会、キリスト教の世界制覇戦略には決して屈しませんでした。
      又、彼は 「悠久と流れ続ける権威」 に対しても全面的に叛旗を翻してはいません。
      信長のお茶目は、日本の「八百万の神々」の一人 (神 = 加美) に参加希望された事くらいです。
      およそ、宗教と云う代物は、日々生活を営む方々が 「信じ」 てのみ成立するものです。
      決して、強要されたり、強制されるものではございません。
      信長は、八百万の神々を守りましたが、T○Sは、「窓 神」 に屈してしまった事は事実です。 2007/1/30

   ☆ 「本能寺の変」 の流れにつきましては、「近衛前久と勧修寺晴子」 をご覧下さい。
伊達政宗のファッション はでな、だて (伊達)

   源頼朝により伊達郡 (今のフクシマ県福島市と伊達市) の領地を貰い伊達氏と名乗り、その末裔の
   伊達政宗。 初めてファッション界に東北地方ご出身の方が登場しました。
   一昔前までは、この地方、田舎、ダサイ、話言葉が不明 とレッテル付けられていました? しかし、

   「だてーっ (伊達)=カッコィィー ?」 と云う日本語は彼がお作りになっていたのです。

   広辞苑では、
   人目をひくように、はでに振舞うこと。
   好(この)みが粋である事。 あかぬけて洗練されていること。 さばけていること。
   見えを張ること。 外見を飾ること。

   伊達女は、はで好みの女。いきな女。  伊達男は、しゃれ男。       伊達着は、はでな服装。
   伊達心は、はでな気性。遊興を好む心。伊達姿は、粋な姿。はでな服装。伊達染は、流行の染様。
   伊達襟は、重ね着感じに見せる為の襟。伊達者は、華奢風流を好む人。伊達巻は、違います ?

   伊達の薄着は、ハークション。  ファッションには暑さ ・寒さはお構いなし。 でもちょいと ブルルン。
   等々枚挙に暇 (いとま) がありません。
   伊達襟は、私ども婦人服のジャケットの襟デザインのテクニックとして使っています。

   伊達政宗が窮地に陥った際に採用した 「こんなもんでどうだいっ。」 と云う
   死を賭して迄もの究極のパフォーマンス。
   その様な 「粋な男心」 を、回りの皆さんは 「カッコィィー ?」 と感じられたのかも知れません。
   彼の 「心音 ・根」 に感じ入り、拍手を送った方々が派手目な新発想の物に 「伊達」 と云う言葉を。

   「好き ・嫌い」 を別にして、翻って考えれば、外見変身はファッションの入り口。
   玄関止まりではなく、もっと中にお入り頂き、インナー、心、迄も素敵にお洒落して頂けると・・・・・。

   「そったらもん、百も承知じゃー。」 って 伊達政宗さんにお叱りを受けるかしらん。
安土 ・桃山時代の続きは、又、後日にいたします。 お楽しみに・・・。   五七の桐
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