粋 (いき )は、広辞苑で、
(「意気」 から転じた語)
・気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること。
例証として、歌舞伎、浮名横櫛 「その粋(すい)な多左衛門どのなればこそ、かうしたいきなお富さんを」
・人情の表裏に通じ、特に遊里 ・遊興に関して精通していること。 反対は野暮。 |
通 (つう) は、広辞苑で、
・ある物事について知り尽していること。
・人情や花柳界の事情などをよく知っていて、さばけていること。やぼでないこと。また、その人。 |
「粋の構造」 で九鬼周造は、(1930年刊)
粋は「あかぬけていて、張りがあり、色っぽい事。」 と述べておられます。
具体的には、髪の毛をきちんとなでつけて乱れがないのが野暮で、後れ毛が有るのが粋との事。
刺激的には、シースルードレスが微妙に醸し出す、拒みと受け入れの両方を併せ持つ雰囲気が粋と。 |
意気は 「気立て」 「心映え」 「気前」 「心持ち」 「意気込み」 「心意気」 で、
結局は、辞書特有の巡り巡って振り出しに戻る、いつもの循環に陥ります。
広辞苑例証の歌舞伎の世界では、スイ (粋) は多左衛門で男性、いき (粋) はお富さんで女性に。
九鬼周造は、後れ毛 ・シースルードレス (羅で内側が透けて見えるうすもの全般を云い、絽、紗の着物) ・
着物の襟を抜いた着こなし、ですので女性になります。 |
ここからは、kids goo の検索対象外のページに成る事を覚悟して展開します。
おおよそ、太古より、花と柳の世界に限らず、この世の中は、女性と男性 (+中性) で成り立っています。
その女性、男性、個々人の集まりが世の中 (世間 明治以降の翻訳語では社会) に。
昔、吉本ばなな さんのお父さん、吉本隆明は、
女性と男性のカップルを ――――――――――→ 「追幻想」
女性、男性、個々人の集合体を =======⇒ 「共同幻想」 と素敵に命名され論じられました。
この世は、自然物も含め、すべて幻想世界、ファンタジーな時空間。
ファルコン (ネバーエンディング ・ストーリー) に乗せて貰い時空を飛ぶ生命体の私達。
そんな 「訳の解らない世界」。
故に、私達、人間は、何とか分かり合おうとする為に、「心の遣り取り」 をする事に。
「罪」 か 「ラッキー」 か 「幸せか (し合わせ)」、 (心は同じでも立場により云い方が異なるだけ)
どちら様かが私達人間に、「気持ち良さ」 を与えて下さったお陰で、より心の綾のやり取りに奥深さが。 |
その表現方法の一つが 「粋」。
服に関する事で、こと、女性においては、シースルー ・着物襟抜き着こなし表現。
この表現は、平安のみやびの世での 「女と男の心模様(出だし衣)」 と同じくします。
「見えないようで観える。観えるようで見えない。」 演出に他有りません。
古来より日本人の持ち合わせる
『 「人・(物)」 と 「人・(物)」 との 「間」 を完全に遮断しない。』 気持ちのやりとり。
又、この方法、出で立ち、仕草を、分かっているにも関わらず、てら (衒) って、
こ (媚) びる、おもね (阿) る、へつら (諂) う、
何て、女性のお気持ちを少しもお判りに成らない振りをして語る かわゆい 世の男性達?
この表現もひょっとしたら、おつ (乙) なのかも知れません。 いや、野暮ってもんじゃーございませんか。 |
ちょいと、服を離れ、髪型では、 (ファッションとしては一体です。)
後れ毛表現、これも古来からの日本の美しさに対する教えです。
日本の職人さん (アーティスト) 達は、必ず表現方法の一つとして取り入れておられます。
構築物、物の配置などを必ずと云って良い程、シンメトリー (対称) になさいません。
何とも表現をしかねる、アンバランスのバランス表現、アシンメトリー (非対称) の世界です。
お寺の屋根瓦をワザと一枚葺き忘れ。 龍安寺のお庭の石配置。 床の間の違い棚。
昨今の、日本橋地区建築物では、コレド日本橋ビルのアシンメトリー 。 (新 丸ビルと見比べて下さい。)
ロジックの積み重ねの新丸ビル、それ以上の筋書きをした味わい深いコレド日本橋ビル。
(決して中のコンテンツでは有りません。努々新 丸ビルが汚いとは申し上げていません。ただすぐ飽きて・・・。)
光り輝く2、3本の細く・しなやかな黒い後れ毛、うなじ (項) から垣間見える柔肌に、
思わずウットリ、とろけ、ファンタジーな空間を思い巡らすのは、私 (わたくし) だけかしらん。 |
粋は、美しい気持ち (心) の表意記号。
観えそうで見えない、拒否と承諾の透けるドレス。 (レースも同じ表現です。)
YESでもNOでもない、「間 (あわい)」 表現、曖昧表現。 お決めになるのは 「あ・な・た」。
素敵な女性は、常に2つのボールを相手 (男性 ・女性) に投げかけています。(当然、間(あわい)ボールも)
そのボールをキャッチして、投げ返すのは相手の番であり役目。
彼女の 「心のたていと・よこいとで織りなしたボール」 を斟酌し投げ返すのが、「心の遣り取り」 の始まり。
「粋」 な心を 「粋」 で返せるのが 「通」 って事になるのではございませんでしょうか。
やぶさか、心が通い、ボールが投げ返せ、大願成就の暁には、
これぞ、お二人の追幻想世界が織りなす、素敵な時空。 お後は、よしなに、ごゆっくり。 |
各地方毎、ファッションセンスの趣に違いが有るのは、今の世と何ら変わりません。
それではこの江戸時代、大阪出身で、後に江戸深川に住み、江戸、京阪を行き来し、
1837〜1867年に書き続けた、喜田川守貞(1810〜?)の 「近世風俗志 (守貞謾稿)」 に依りますと、 |
「当時 (1658〜1662年) 武家市中とも、婦女の風変異なることなし。
其の古風、今 (1830〜1843年) も武家に遺 (残) れり。
(本注、御殿女中に遺る也。小臣武士の婦女は、更に古風を失して、坊間 (市中) と共に、時様に押しうつれり)
民間は古風更に失せて、時々の流行に走り、今は御殿女中と坊間の婦女と、其の風姿千里の差となる也。
蓋 (けだ) し京阪も市民時々の流行変革ありと雖 (いえど) も、自づから又古風存するあること江戸に勝れり。
江戸は八九十年来、特に古風を失脚す。」 と有ります。 |
お江戸(東京)町人は、流行を追い、京都、大阪の町人は、未だコンサバティブでクラシックだと述べています。
彼自体、up -to -date (今日的) でなく保守的な考えの持ち主で、
浪速出身の方ですので京、大坂の方に身びいきしていたのかも知れません。又、守貞は庶民の女性は、 |
「京阪市中の(女性)も、式正 (正式) の時、或いは式正の時主人の供する等、紬紋付き専用とす。
江戸の女性、紋付着する者稀(まれ)にして縞物を専(もっぱら)とす。」 と記していますので、 |
京都、大阪地区の女性は、 絹紡糸の紋有り着物。
東京地区の女性は、木綿のストライプ柄着物。 と云う違いが有った事に。 |
三都で差異が有る様にお感じになるやも知れませんが、現代に比したら、とても差異は 「カワユイ」 です。
マスメディア皆さんは、日本全国、津々浦々同じ姿と情報宣伝していますが、実際はとても違います。
北は、北海道、南は、九州 石垣島まで、
各地区の女性の方々、それぞれ、独特のテイスト (味わい) をお持ちになっています。
と云うよりも、その事は、「自然の理 (ことわり)」 にとっても適っていると ZIPANGU は考えています。 |