着物の帯が脚光を浴びたのは、小袖がアウターになってからでした。見える分量が圧倒的に増したからです。
故に、小袖がアウターとして定着した、室町後期から安土 ・桃山時代になります。
初期の頃は、帯の結ぶ目が、前、横、後ろと何処で結んでも良く、これと云った決まりは有りませんでした。
それが、やがて、お嬢さん (娘さん) は後ろ結びで、既婚者は横ないしは前結びになった感じです。 |
更に、安土 ・桃山時代になり、やや世の中が安定し始めると、ファッションです。
帯幅を広くして、差異表示の手段に。
帯幅が広くなりますと、自動的に結び目がデザイン性を持つ様になり、その分量は自ずと大きくなります。
従いまして、前、横にお団子みたいな? 結び目がありますと動きに不都合です。下記に理由により、 |
1 うたた寝 ・お昼寝 (伏せ寝状態) が不可能。
2 やはり、ヤング (お嬢さんファッション) に見せたい (魅せたい)。?
3 フロントには自信があり、それならバックも しゃんで。 |
は当たっているか否かは分かりませんが、後ろ結びが主流になりました。
抵抗を試みたのは、より男性達を楽しませて下さる、その筋のお姉様(花魁 ・傾城)。 アンチ 「地女」軍団。
彼女らは、江戸時代きっての教養伴うファッションリーダー達。
お江戸文化大好きな、田中優子さんは彼女ら花魁 ・傾城さんのスタンスを次の様に記しています。 |
「1 相手の気持ちに敏感。
2 簡潔表現で必要不可欠のみの物言い。
3 お金、食事、自分の利益に欲がない。
4 お手紙の文字及び文章が美しい。
5 回りの雰囲気を壊さず、楽しく・ハイにお酒を嗜む。
6 歌の一つも所望されれば、しっとりを気持ちが入った歌を奏でる。
7 お召し物のファッションセンスは抜群。
9 姿勢が良く、 中略 。
10 必要であれば、決してケチらない。
11 伽羅 (きゃら) の香りがほのかに漂っている。
12 教養 ・芸は、和歌 琴 笙 三味線 唄 生け花 茶の湯 髪結い 碁 時計調整などなど。」 (「江戸の恋」から) |
スーパーレディーの花魁 ・傾城さん達の 「心音 (根)」 は量り知り得ませんが、
お習い事の数々を修得されたご努力には敬意を表します。
今時のお嬢ちゃん ・僕ちゃん達も塾通いでお勉強の日々。 しかし、科目がアーティスティックで無い事は・・・。 |
☆ 左図の禿 (かむろ・幼いお嬢ちゃん) と右図のお目覚め朝のお姉さんは帯を後ろで結んでいます。
☆ 帯の結び方もファッションですので時空間、年齢等により差異表示のツールになっていました。 |