清少納言さんが記した 「枕草子」 には、句点は有りません。
どちらかの時代(とき)に、どちら様かが句読点 ・一部漢字置き換えをなさり、写本を繰り返し、
今の世に伝わっている「枕草子」です。
故に清少納言さんの描写されてる「情景」と異なるかも知れませんが、
ここにあげた 「文章」 の句点をそのまま 「絵」 にしますと上記の様になります。
ここの段のお話は、(ご存じの方は飛ばして下さい。) 定子さんの妹の淑景舎さん(後の三条天皇の奥様のお一人)が定子さん(一条天皇の奥様のお一人)のお住まいになって居る所へ来られるシーン。
その際のfashion(お召しもの)です。
定子さんが少納言にfashionを語っています。
時は二月十日(旧暦)正月が終わり桜 (染井吉野ではなく山桜) の季節の三月との間です。
彼女は少納言に次の様に話しかけています。
『紅梅色のジャケットのインナーは濃い紫色が一番、素敵よねー。』 その組合せが 「定子(紅梅 ・紫)」 です。
『今時では、紅梅色のジャケットじゃなくそろそろ先取りの桜色の方がオシャレかしらー。』 定子(桜 ・紅)。
紅梅色と桜色の色味の違いが皆さんのブラウザーで確認できる事を願います。
桜色は紅梅色よりも赤みがかなり強いです。
この微妙な色合いの差(季節感をも含めた)のジャケット談義です。定子さんって素敵っ。やや舞絽倶調?。
『かと言って、萌黄色のジャケットもおしゃれなんだけど、ちょいと私の年でじゃねー?
それにいま付けているインナー (袿) の紅色には野暮ったいし。』
その萌黄色のジャケットをお若い妹さんがおめしになっています。
次に、日本国旗のシンボルカラー、平氏 ・源氏の各々のシンボルカラーの 「紅 ・白」。
さすが酸いも甘いもお判りなる 「アダルトな女性」 の貴子さん。
二配色のさっぱり ・オババ系と考えてはとっても浅はかです。
絵で表現していませんが、ジャケット(超ロングジャケット)には、お三人様ともに地柄が施されています。
ここからは想像の域ですが、貴子さんのジャケットの 「白」 には、同色で大人しか着れない柄が飛んでいたのではないかと考えています。
最後に、淑景舎さん。さすがの若さ。これでもかの多色使いの色取り取り。春、萌えいずる若葉の 「萌黄色」。
定子さんも思わず嫉妬???
今の世も 「若い」 の誉め言葉にお・よ・わ・い方々。 雅の世と、変わっていませんね? |
<関白殿、二月廿一日のほどに法興院の積善寺といふ御堂にての段> |
★中宮定子
「前略 まだ御裳、唐の御衣奉りながらおはしますぞいみじき。くれないの御衣どもよろしからむやは。中に唐綾の柳の御衣、葡萄 (えび) 染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳など奉りて、ものの色などは、さらになべてのに似るべきやうもなし 『我をばいかが見る。』 と仰せらる。」 |
★清少納言
「前略 赤色に桜の五重の衣を御覧じて、 『法服の一つ足らざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそかり申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物をとり占められたるか。』 とのたまはするに、大納言殿、すこししぞきてい給へるが、聞き給ひて、 『清僧都のにやあらむ。』 とのたまふ。」 |
★女院(東三条院詮子)女房
「前略 次に女房の十、桜の唐衣、薄色の裳、濃き衣、香染、薄色の上着ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空はみどりにかすみわたれるほどに、女房の装束のにほひあひて、いみじき織物、色々の唐衣などよりも、なまめかしうをかしきことかぎりなし。」
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