☆ 十二単は通称。平安時代には十二単の呼称はなく、各々単品名で服を呼んでいました。
☆ 十二単の単品名と着用順序は、「平安朝 (平安時代) 衣装」 でご覧頂けます。 |
☆十二単と文献に出てくるのは鎌倉時代後期から。 (月は旧暦) |
源平盛衰記 巻四十三 鎌倉後期以降に成立。
「弥生の末の事なれば、藤重ねの十二単の衣をめされたり・・・。」
この状況シーンは建礼門院徳子さんが壇ノ浦で海への飛び込み場面。3月末なのに4月夏用の衣装とは。
京より西国に出かける際、何シーズン分お持ちになったのか。暑さの為か或いは先取りファッションか。 |
増鏡 巻三 応安年間(1368-1375)頃の成立? 伏見天皇(在位 1287-1298)(1265-1317)
「伏見天皇の中宮の御装ひに、紅梅の十二単御衣に、同じ色の御ひとへ、紅の打ちたる、萌黄の上衣
葡萄染の御小袿、花山吹の御唐衣、からの(唐・輸入物)薄物の御裳・・・。」
この後の世で、小袖着物(肌着)を含めた12(五衣)単品で十二単と云うようになる。袿三枚でも十二単と。 |
藤重ねの色は 「曇華院殿装束抄」 では上から紫 ・薄紫 ・薄紫 ・白 ・白 ・紅のコーディネート。(襲色目)
紅梅の色は同じく紅梅 ・紅梅 ・薄紅 ・紅 ・紅 ・紅 ・緑で7枚になるのは寒い冬の服だから。藤重は夏服。 |
花山吹は重(かさね)色目で表が黄色で裏が萌葱色。「重修 装束図解服制通史」の著者の関目正直氏曰く、
色目は、明治40年にある人のすすめにより倉卒(あわてて)に書き留めたものなので参考にしてとの事。 |
又、十二単の重要アイテムの袿は裏表あり。単(ひとえ)も厳密に云うと一枚布でなく折り返し布有り。
上の8枚の絵の右裾に見える斜線柄模様がその部分。小袖着物(肌着)のみが本当の単衣(ひとえ)。
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