十二単 (ご婦人服・レディーズウェアー) と束帯 (紳士服・メンズウェアー) は正式 (晴れ) の際に着用。 |
「晴れ」 は、現代、成人式などで振り袖姿を 「晴れ着 」 と云い、言葉は継承されています。
「褻 (け )」 は、日常・普段着のカジュアルウェアーに当たる、堅いジャケット以外のアイテム。ニット等。 |
宮中でお仕事をされていた清少納言 ・紫式部さん達、女房の場合、
「晴れ」 は、お仕事中、「褻 (け )」 は、ご自分達に小部屋 (局 ) にいる際になります。
故に、彼女らは、お仕事をされている時空間は必ず、十二単フルセットの出で立ち (ファッション) でした。 |
約400年続いた平安朝は、現代 (各シーズン毎のトレンド変容) と違い、緩やかなファショントレンド変化。
この長期間の時代(とき)のレディーズカジュアルウェアーは、「小袿(こうちき)」・「細長(ほそなが)」 との事。 |
小袿は、形 (シルエット ) は、五衣・打衣と変わらず裏地が、ややお洒落な位。又、着丈が短かかったとも?
枕草子の積善寺供養の段に 「女房ある限り、裳から衣、みくしげ殿 (中宮定子の妹) まで着給へり。
殿の上(定子の母) は、裳の上に、小袿着給へり。」 と。 |
細長は、五衣・打衣の衽(おくみ)がないもの。衽は着物の前身頃の打ち合わせ側にある部分。
故に巾が細長く見えるので、ほそなが。小袿の上に着用。
枕草子の衣の名どものあやしきを数えた所に、「衣の名にほそながをば、さもいひつべし。」 と。 |
「服飾漫語」 に依ると、「細長も其のものは二つあり。 (一つは、童(男)の細長 下図)
女の装束の細長とは、小袿の上に着るものにておほくび (衽) のなきものなり。」 と有ります。
服飾漫語は、田安宗武の記述した書物です。江戸時代中期の文献ですので、正誤は不明ですが、
もし彼の文言を信じると、細長は、衽がない分細身になり、
さらっと羽織る感じの 「着物の羽織の丈の長いもの」 様な代物とお考え下さい。
要は、唐衣 (堅いジャケット) と裳を着用しない事で、ややラフな感覚のアイテムとして
この時代考えられていたと云う事に。
但し、普段着のカジュアルウェアーとは云え、現在のジャージー感覚とまでの落差はありません。
細長の現物の絵を確認しました。「京都国立博物館の収蔵品データーベース」 のsite、
作品・文化財の名称 「細長」 で検索できます。
4点の内上3点はwemens一番下はmens (童 (男) 細長) です。 但し江戸時代のお品です。 |
メンズの衣冠 (殿居装束) は今の世のカジュアルウェアーには入れ難く略礼装なので中間的服装。 |
8の袍 (うえのきぬ) は二種類有り。
「縫腋 (ほうえき)」・・・・・腋 (わき) が接がれている (縫い合わされている)
「闕腋 (けってき)」・・・・・腋が接がれて無く、チャイナドレスカット風。 |
メンズカジュアルウェアーの袍 (ロングジャケット ) は 「直衣 (のうし)」 と 「狩衣 (かりぎぬ)」 。
要は、より動作しやすくしたもの。
ジャケット風からトレーナーへ、折り目有りパンツからスウェットパンツへの感じ。 |
水干は、狩衣が布地の糊張りしパリッと仕上げているに対し、水張りして干した柔らかい狩衣との事。
しなやか、ふわっと仕上げ?なので、庶民以外セレブ達もラグジャリータイムの際には着用していた。
動き易いので山登り、蹴鞠の時も。官服ではないので北面の武士達も着用、やがて武家の公服に。
枕草子、あわれなるもの条、御嶽に参詣する人の装いを 「摺りもどろかしたる水干・袴」 と有ります。
狩衣との僅かな違いは、柔らかく丈短めにより袴(パンツ)の中にINできた事。それに、上図の様に、
前身頃のセンター2箇所と後身頃のお袖の4箇所に 「菊綴 (きくとじ)」 と云う飾り刺繍がみえます。
これらは、縫製補強とオシャレ感覚? さすがに、伴大納言絵詞のお二人には付いていません。 |
直垂は、この時代、セレブの方々は着用しませんでした。言わば 「庶民の衣装 (fashion)」 でした。
庶民の拠り所アイテムから、セレブの方がお書きになった文献には余り登場しません。
後撰和歌集の雑一に
「ひたたれ請ひに遣したるに、裏なんなき。それは着じとやいかが。といひたりければ、
清原元輔、 住吉の きしとはいはじ 沖つ波 猶うちかけよ うらはなくとも」 と有ります。
裏地がついていない事と村上帝 (926〜 967) (在位 946〜967) の時代には、
既に、このアイテムの存在した事が判ります。
後に足利義満 (1358〜1408) の時代にセレブの方も着用し江戸時代の徳川幕府では式服に。 |
袴は、 図は長いプリーツパンツですが、庶民はプリーツ無しの短パンです。生地に贅沢はできません。 |
白大口は、水干・直垂の着用時にパンツ(袴)の下に履いたもの。内袴(トランクス?)。作りが精巧の為、図に。 |
庶民の着用していた生地 (布) は、決して高級素材の 「絹」ではなく、(木綿はこの時代は有りません。)
麻 (苧麻ちょま) カラムシの茎の皮から取った繊維で織り上げた布。精製したもので織った布は 「上布」。
太布 (たふ)楮 (こうぞ)・科 (しな) などの皮の繊維を織った粗い布。 楮は和紙の原料でも。
葛布 (くずふ)葛の茎の繊維を緯糸にして織った布で摩擦に耐える力が有り袴の素材に用いられたとの事。 |
概して、植物繊維は動物繊維 (シルク・ウール) に比して、染色性に劣ります。
今の化学染料全盛時代に於いても同じ現象です。
故に、どうしてもこれらの繊維 (布) は糸染め布染めの如何に関わらず、
よく染まる 「藍 」か 「茶系」 の色になってしまいます。
ジーンズ (デニム) のインディゴブルーはその冠たるものです。
今の世の中でも、外で作業をなされている方々の服色は、紺系・茶系色が圧倒的に多いです。
今や、カジュアルウェアーでの庶民の味方 (老若男女を問わず) ? ベネトン・ユニクロ。
ローコスト(単一商品絞り込み)・ロープライス(大量生産)の戦略でカラフルな色の服を供給して下さっています。
それ故に、外で作業に従事なさってる方々に、
綺麗な色を着用して頂いても良いと思うのですが、中々そんな時代になりませんね。
一方、画期的な事は野良着から出発した 「綿」 のジーンズが、
今や何と高級ホテルでもO.K.の世の中に成っています。
更に、ワザとすり切らしたり、穴を開けたり、染めムラを施したデニムがよりファッショナブルな時代。
一番最初におやり下さり、世の中の白い視線に耐えて下さった方、
ひょっとしたら平安の世にもいらっしゃったかも知れません。
その事実は、武家政権の時、カジュアルウェアーであった狩衣・水干が武家の礼服になりました。
平安時代の庶民の装いについて、新しい情報が入手できましたら、直ちにお知らせします。 乞うご期待。 |